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この日付と時間。
「ああ、今日はあの日だったか」
と言える日は、自分が生きている限り来ないでしょう。
「あの日、あの瞬間がやってくる」
という形で、ずっと意識し続けていくと思います。
あれから1年。
こと、私の家族に関しては、
祖父こそ犠牲となってしまいましたが、
残された我々は何とか、「明日」へ、
歩みを進めています。
しかし、近所にある荒浜地区においては、
ガレキこそ結構片付いてはおりますが、
建造物の新築は禁止され、
そこにあったはずの家屋の土台のみが残る、
1年前と何も変わっていない光景が広がっています。
何をもって、「復興」と言うのでしょうか?
荒浜でもあの状態。
南三陸などは、この比ではないというのに。
少なくとも、今の状態は復興には程遠い事は言うまでもありません。
こと、
震災で直接大きな被害を受けなかった方には
過ぎ去った過去の出来事としてほしくありません。
1年という節目に、
改めてこの事を訴えさせていただきたく思います。
そして、もう一つ。
「絆」という言葉が、
一部では恰好だけで独り歩きしているような気がします。
その言葉の意味を、今一度自らに問いただしてみて下さい。
さて。
地元に帰ることも当然考えていたのですが、
色々な事情でやむなく見送りとなってしまい、
私は関東で、この日を迎える事となりました。
無駄に過ごすつもりはありません。
自分なりにすべきことを考え、行動します。
早いもので、今年ももう少しです。
HIRO&C☆ですこんばんわ。
京大のカンニング事件も今年あった事なんですが、
去年より昔の事のように思えてしまいます。
まあ、ちなみに仙台の予備校生だったんだけども。
とにもかくにも、
「3.11」以降、すべてが変わりました。
それに尽きます。
そして、まだ「3.11」は終わってはいません。
何をもって「復興」と言うのか、良く分からないんですよ。
失った命、物は戻っては来ないんです。
それ以上の何かを得る事?
たぶん違う。
その答えを見つけるためではないですが、
少しづつ、前へ前へ進む旅は、これからもずっと続いていきます。
直接被害を受けていない人にとっては、
もはや過去の事なのかもしれませんが、
少なくとも私や家族にとっては、
「3.11」は未だ現在進行形の出来事です。
どうか、それを留めて頂きたく。
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以上で大抵の事は言いましたが、ちょっと個人的に。
今年は震災に際し、
各方面からご心配、或いはご支援を頂きました。
また、SNSを通じて、新たな人々との出会いもありました。
家族、友人という「輪」がさらに強固なものになりましたし、
新たな「繋がり」が生まれたことにも感謝しております。
「繋がり」が生まれるという事は、
新たな「価値観」との出会いを意味します。
尊重しながら、発展させていく。
受け入れ方は勿論ですが、発信の仕方も変えていこうかな、と。
大ざっぱですが、そんな思いがあります。
今後とも、よろしくお願いいたします。
29日から5日まで、仙台に帰省いたしますが、
常時Twitterなどで色々しゃべっておりますので、
お暇な方はそちらをご覧ください。
それでは、2012年にお会い致しましょう。
2011.12.28 HIRO&C☆
忘れていないだろうか。
海の向こうの大事の陰に隠れて、
我が国の誇る?先の副将軍も同日、お役御免だったことを…
「ああ人生に涙あり」を聞くと妹が泣き出したHIRO&C☆ですこんばんわ。
そんな僕は「大岡越前」のOPが何故か怖かった記憶が。
さてさて、書く書く言って放っておいた、
9月末の「OO(ダブルオー)リベンジの旅」。
とっとと書く事と致しましょう。
未開の観光地、というのも悪くないですが、
個人的には昔住んでいた場所、
最近では仕事の出張などで立ち寄っただけの場所など、
思い入れが少なからずある場所に行くのが好きな方で。
自ずと一人旅となってしまうのですが、
まあこれは気楽っちゃあ気楽。
今年は仕事の都合で木金休みが夏場続いておりましたが、
9月末にカレンダーが戻る際、運良く4連休となりまして。
初日の木曜日に当日の宿を決めて即出発という、
何とも行き当たりばったりな旅を決め込みました。
まずは圏央道~中央道と来て、大月JCTから東富士五湖道路へ。
今回のサブ目的として
「行きと帰りで富士山をぐるっと回るような通り方をしよう」
というのを事前に決めておりました。
で、行きは富士山の右半分を選択。
一度一般道に降りてから、今度は御殿場から東名道。
今回の第一目的地へいざ、という感じです。
この日の昼飯は浜名湖SA。
「うなトロ月見丼」なるものを頂きましたよ。

出てくるのが早い!!まずはここにビックリでしたね。
うな玉は知っていますが、これにとろろを加えてどうなるか…?
ちょっとチャレンジでしたが、さすがに人気メニューだけあって美味!!
ちょっと食い足りなくて、ついでに静岡風おでんなんぞ。

初めて食べましたが、
普段のおでんと違うダシのコクの深さにこちらも感動。
この後さらに車を走らせ、愛知県へ突入。
さてここで。
普段近所走りでは車に繋げたiPodの音楽を聴くことが多いですが、
遠くに出かけることがある際は、専らラジオを聞いてます、しかもAM。
AM派なのは昔からで、癖になっている部分もあるし、
どうもFMの話し手さんのノリを体が受け付けないというか。
あとは地元に住んでいる人の気分を味わいたいというのもあります。
閑話休題。
愛知県は岡崎市で高速を降りて一般道へ。
まずは、とある会社の寮へ。

実はこちら、
8年前に大学院のインターンシップでお世話になった会社の寮。
3週間、こちらで生活しておりました。
当時は仙台は冷夏で、最高気温が25℃を超えることも稀。
その状況で連日真夏日の愛知にやってきて、
ずーっと夏バテの症状に苦しみ、メシもまともに食えませんでしたが、
夕食は必ず食べるようにはしておりました。
玄関先で庭の手入れをしている管理人さんの顔、
久々に思い出したなあ…
当時はもう、東京以西の地に縁がある事は、
今後の人生無いんじゃないかという思いもありましたが、
今の会社に入社後、そちらの都合で再度この地に来ることになります。
来たのは2年前のことで、この時は2泊。
ほとんどホテルと工場との行き来で、まともに出歩くことは無く、
以前お世話になった、上の寮との距離感は分からないままでした。
で、場所を調べてみると…たった3㎞!!!
意外と近いところにあるという、コレは偶然というべきなのか…

ちなみに、工場はもうありません。
夕暮れ目前にして、「1st REVENGE」は終了。
ここでせっかくなので、IIDXの行脚を稼ごうとしてゲーセンへ。
意外に時間がかかってしまって、出る頃にはすでに真っ暗。
で、この日の宿舎は何故か静岡県磐田市なんです(笑)
割引も無い日に高速で来てしまったこともあり、
金をケチろう&じっくり走ろうというコンセプトの下、
磐田までは国道1号オンリーで約4時間を走ることを決め込みました。
この地域のラジオは専らドラゴンズ戦。
とはいえ、たまたま地元:宮城のラジオが入ったので、
楽天戦を聞きながら、という不思議な状況。
コレが結構疲れました。
まあ無理しないで高速乗れよ、って話ですけど。
静岡はHOT SPARとボウリング場が何であんなに多いの…?
磐田に着いたのは午後10時。
インター近くのビジネスホテルに泊まりました。
実はこちらも、仕事の関係で3年前に2泊しております。
以前は早起きをするべく、夜は早寝を決め込みましたが、
今回は買ったお酒をちびちびと呑みつつ、
疲れた体を癒しましたとさ。
-9/29の走行距離:500㎞-
さて2日目。
朝は時間ギリギリまでのんびりしてチェックアウトし、
程ない所にあるゲーセンで静岡行脚を達成。
そのまま、車を西へ走らせます。
昼過ぎに着いたのが…御前崎。

ここで昼飯にマグロ尽くしを頂きました。
正直、ちょっと微妙な感じでしたが…まあいいか。

さて、なぜこんな所へ来たのか?
実は、写真を見る限り、漁業のイメージがある御前崎ですが、
しばらく車を走らせると…

輸出用自動車のモータープールがあります。
で、ここに仕事で来て、磐田で2泊…
という訳で、なかなかに意味(忌み)ある場所です。
ところが、今年は個人的にも、
世間的にも話題ある場所となりました。

この場所からほどなくして、「アレ」があります。
この時には運転を完全に停止しておりましたが…
あまり多くは語らないようにします。
さて、この近くにはちょっとした公園があるのですが、
ここの風景で特徴的なのが、風力発電のプロペラ。

ここでは、真下にまで近づくことができます。
この日は結構風が強く、プロペラもかなりの勢いで回っていました。
風切り音、間近で聞くと結構デカい音がするんです。
まあそりゃそうだわな、これくらい勢い良く回ってくれないと、
電気なんて生み出せやしないよなあ…
日本を揺るがした「アレ」と、クリーンエネルギーの一端。
その両方がともに存在するこの場所。
貴方がここにいたら、何を想うでしょうか。
さて、これで「2nd REVENGE」は終了。
「OO(ダブルオー)」とは、ガンダムではなく、
「岡崎」と「御前崎」の頭文字だったのです。
とは言え、まだ昼過ぎ。
という事で、「EXTRA STAGE」へ。
せっかく静岡来るなら、
衝撃を受けたあの曲の場所に行かなければ…!!
…
……
………
という事で行ってきたよー。

「沼津みなと新鮮館」。
思わず歌いそうになってしまったのは内緒だ。
ところが、夕飯にはまだ早い時間の到着で、
腹は減ってない、店は開いてないのダブルパンチ。
10分くらい周りを散策して、写真撮って終了!!
…まだ帰るには早い…
ここで、最大の暴挙、
「ONE MORE EXTRA STAGE」突入を決行。
出発の際に決めていた
「富士山を回るような道で」のコンセプトの下、
真っ暗な中、富士山を見えないながらも右手に、山道を疾走。
いや、しかし道中、
30分で信号が2~3個程度という本当に山道の中、
対向車もほとんど来なければ、後ろに続く車も無い、
さらに街灯なんて皆無な状況下で車を走らせるというのは、
非常に貴重な経験でした。
BGMにしていた「Far east nightbird」がハマるハマる。
孤独な山道が一段落したかと思いきや、今度は峠。
ハンドル操作が忙しいのなんのって。
何のチューンもしていない一般車ですが、
少しは攻めたい、という「血」が騒ぎまして。
非常にスリリングなドライブでしたが、ちゃんと無事故だよ。
そんな道の先にあるのは、人生初の山梨県。
途中、あの「上九一色村」だった場所を通り、一路甲府へ。
で、山梨に来た理由というのは…実は無く(笑)
IIDXの行脚の記録を記したら、そのまま中央道に乗って帰路へ。
自宅直前のSAで、
深夜12時をまたいで高速料金を安くするべく時間調整。
そして帰宅。
車のメーターを見たら、950㎞って書いてあったよ。
腰も若干イカれ、その日は倒れるように寝ましたとさ。
やっぱり家が一番だね、楽しかったけど。
ご無沙汰しておりますHIRO&C☆です。
色々とありすぎた2011年。
まあ大事な事は優先して書いてきておりましたが、
それを差し引いても、今年の投稿数が少なすぎます。
Twitter等で日記代わりに色々と書き込むことは多いですが、
やはりBlogという形でないと書ききれないものもあります。
という訳で、ほぼ年末恒例となってきた更新祭り!!
その第1回は、全く意味のない話からです。
あれですよ、アレ。
不肖私、いい歳ですけど…
やっとこさ「初体験」しちゃいました。
ええ、卒業ですよ。
一足先に春が来たんですよ…
シャワートイレの話だけどな。
今まで使ってなかったけれど、なぜ今更なのか?
行動心理が変わるには、それ相応の理由があります。
まあ、推して知るべし。
僕だって人間です。
アイドルでもありません。
したいときにはしたいと体がサインを出すんです。
無かったんですよ、きれいにお掃除する紙が。
で、止むを得ずというお話で。
しかし、水勢が5段階で2という「やや弱」な状態だったが、
結構勢い強く感じたが…あれも慣れれば普通なのか?
去る9月19日ですが、
実家を離れてからは初めてとなる、1泊2日の帰省をしてきました。
移動手段が車だったのですが、
高速使用で片道6時間、滞在はわずか16時間という怒涛の帰省でした。
普通であればこんな疲れる帰省はしませんが、今回だけは特別です。
先の震災で亡くなった祖父ですが、その納骨がこの日でした。
この日は(実際は関係ないらしいですが)納骨には良いとされる大安。
カレンダー上は敬老の日。
そして本来ならば、祖父の誕生日でした。
神様がいるんだとすれば、
ここまで合わせてくることに心憎ささえ覚えてきます。
納骨に際してこんな無茶な帰省をするにあたり、
事前に家族には一つ、お願いをしておきました。
自分が車を乗り回すようになってから10年ほど。
いつしか帰省の度には、そこかしこに連れて行くのが僕の役目でした。
それは今まで何度も色々と連れて行ってもらった、
僕の恩返しという意味合いもあります。
その役目を、最後の最後も、僕にさせてほしいと。
お寺の本堂からお墓へ向かうわずかな道ですが、
祖父を抱え、一歩一歩を心に刻んで、運んでいきました。
さすがに土木関係の仕事をやってただけはあります。
骨が太く、結構な重さでした。
そして最後の最後、通常袋ごと入れるお骨ですが、
中を見させて頂きました。
本来はこの姿になる前に会いたかったのですが…
当時の混乱は、そうすることが許される状況ではなく、
せめてこの状態でも、目に焼き付けられて良かったと思っています。
そうでないと、本当に実感のないまま、時が過ぎていきそうで。
納骨自体は30分ほどで終わり、
その後は祖父の実家で、母の従兄も加わり、昼飯がてら昔話を。
この2日前から、私の実家は取り壊しが始まっていました。
今は、津波の被害からも回復した祖父母の実家へ移っています。
時の経つのが早いのか、早期に復旧できたと言うべきか。
半年前、祖父の最期の場所となったこの家の居間。
そこに家族/親戚が集って食事をしているというのも、
不思議な感じがしました。
来年春には、新しい「実家」が今までと同じ場所に建つ予定です。
犠牲になった人を無事送る、という点では、
我々家族にとっては一つの節目を過ぎましたが、
新しい1歩を踏み出すには、もう少し時間がかかります。
仙台市でこれなんだから、
被害の大きい沿岸部なんてもっと進んでないと思って当然でしょう。
私のこの文を読む人は、やはり関東の方が多い傾向ですが、
今一度、この事を訴えて、この記事の終わりとさせて頂きます。
「3・11」はまだ、終わっていません。
先日の会社の飲み会の2次会。
カラオケで「さよなら傷だらけの日々よ」を唄った後、
どうやらイメージが変わったようです。
B'zを敬愛し続けて20年、HIRO&C☆ですこんばんわ。
さて、ほぼ2年ぶりに発売された
B'zの新作アルバム「C'mon」。
今日はこれをじっくり聞きこむべく、
休暇を取って、ドライブを決め込んでおりました。
(一応越谷レイクタウンという目的地はありましたが、
特に何も買わず帰ってきてしまいました…)
今回は特に「日本」を意識した、
メッセージ色の強い作品と思えます。
やはり曲作りにも、
今回の震災の影響というのは表れているようで。
タイトルチューンの「C'mon」は震災後に書き下ろされた唯一の楽曲で、
それまで作っていた楽曲とは明らかに毛色が違い、
1つのアルバムとしてまとめるのに苦労していたそうですが、
稲葉さん曰く、
「B'zの音楽として発する言葉としてコレがベストだと行き着き、
この言葉の勢いで一気にまとめてしまおう」
との事で、タイトルは決まったそうです。
「C'mon」以外にも、
孤独を感じやすい現代の暮らしを描いた「DAREKA」、
どっかの国のリーダーに聞かせてやりたい「ボス」、
ひたむきさを説いた「ザ・マイスター」、
繋がってゆく命への想いを唄った「命名」などなど、
今の日本へのメッセージが多く詰まった作品に思えました。
アルバムを買って歌詞カードの表紙裏を見た時の確信。
メディアに報じられる事はありませんでしたが、
彼等もまた、想いを楽曲に詰め込んでいます。
かれこれ20年。
「ファンでいてよかった」と思う事は何度もありましたが、
今回はとりわけその思いが強いのは、
やはり僕が東北の生まれだからなのでしょうか。
実家を取り壊す事が決まりました。
30年前の宮城県沖地震、
そして今回の大震災。
実家は築45年以上の、言わば「ご老体」ながらも、
2度の大きな地震に耐えてくれて、
家族の命を守ってくれましたが…
もはや、次を守れる保証はありません。
今日、母からその話を聞きました。
私もGWに帰省して被害を見ているだけに、
至極妥当な判断だと思っております。
ただ…
いざ決まってしまうと、物悲しい気持ちにもなります。
以前も書きましたが、
私の実家である以前に、母の実家でもあります。
小さい頃は、この家が「じじばばの家」でした。
多少の空白期間を経て、転勤族の僕たち家族はここへ。
そこは「私の実家」になりました。
私の記憶で思い出せるだけでも語りきれないくらい、
想いの詰まった場所であることは、疑いようがありません。
夏の終わり頃には、今の実家は無くなります。
ただ幸いなことに、
津波が来た祖父母の家は汚泥の処理こそ必要ですが、
ライフラインは既に復旧済。
住める状態にはなっているし、さらに
「今の場所へ、新しい実家を」という話もあるらしく…
(最近、両親はモデルハウス巡りが趣味だそうで。
「タマホームって良いわよねえ」とか言ってる…w)
「これから」を生きていくための
「必要な別離」であるとは思いますが、
たとえギョーカイ事情で休みがズれるだの関係なく、
僕はその最期を見届ける覚悟です。
私の夏休み中には、まだ形は残っている予定で、
GWに私が大掃除をして以降、
母も度々掃除をしていたようで…
最後の夏に、思い出が詰まった部屋で、
出来るだけ多くの思い出を、思い出しては眠りにつきたいものです。
未だに実家で皿を舐めては怒られる
HIRO&C☆ですこんばんわ。
家でついついやってしまう癖ってのは、
どうしても外に出ても出てしまうもんです。
皆様におかれましても、お気をつけて。
さて不肖私、社員寮なんぞに住んでおりまして、
食事は離れの食堂で食べている訳なんですが、
先日、いつも食事を作って頂く方からこんな事を言われまして。
「いっつも綺麗に食べてもらって、
感動して写メ撮っちゃいましたよー」
さすがにこの歳でこういう褒められ方をされるとは思わず、
「は、はぁ…」
と切り返さざるを得ませんでしたが。
確かに言われてみれば、というのはあります。
例えば牛丼なんぞを食う時。
七味を結構かけて食べるタイプですが、
最後の最後に肉or玉ねぎを残しておいて、
そいつで丼ぶりをキレイにする感じで食い終わったり。
コレが親の教育かと言われると、意外とそうでもない。
茶碗を持って食えとか、そういう礼儀の類は言われておりましたが、
綺麗に食え、とは強く言われずに育った感があります。
恐らくですが、父親が似たような食い方をしてるので、
無意識にそれを受け継いで育っているのかもしれません。
祖父母が農業をやっていたこともあり、
食べ物を粗末にしない、というDNAもあるのかも分かりません。
知り合いなんかと食事する際、
食べ終わった状態の器にどうしても目が行ってしまいます。
ご飯粒が茶碗についたままだったりする光景があったりすると、
その場で口に出すことはありませんが、不快に思うのは事実です。
以前そんな話を友人の前で話したところ、
「これくらいで誰が困るんだ」ぐらいの勢いで
持論を展開された記憶があるのですが、
おそらくこの「不快感」というやつは、
世界の貧しい人の事を考えて…とかいう論理や、
僕のDNAに起因する思いももちろんあるけれど、
そこがメインじゃなかったんじゃないか?と
今になって思う部分があります。
綺麗に食べるってことは、作ってくれた人に対する
一種の感謝の表現でもあるんだよな、ということ。
一人暮らしは随分長いことしておりますが、
自炊をしなくなって数年経過しており、
こういう感覚が少し鈍っていたのかもしれません。
そんなことを考えているうちに、
あるCMを思い出しました。
東北で知らない人はいないであろう、
伊奈かっぺい氏が出ていた、納豆のCMです。
いやあ、探してみるとあるもんですねえ(笑)
1:40~からのやつです。
このCMが流れていた当時は秋田に住んでいましたが、
幼心に納得して、今では私も体得しております。
これも、今の自分の食べ方を決定づける
一つのきっかけだったのかも?
そして、納豆のCMと言えばこれも忘れられません。
当時はこの食い方を真似したもんですよ(笑)
これを見て「あった、あったwwww」と、
秋田の友人やうちの妹辺りが歓喜してくれればこれ幸い。
いろいろ話がそれましたが…
結論としては
「食べ方が粗末な人はダメだ、女性は特に」
ってことで。
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